ムクドリの群れから

January 6, 2011

WIRED VISION鳥の群れが「一体となる」仕組みという記事を読んでいたら長らく疑問に思っていたことを改めて思い出した。記事の冒頭部分を引用してみる。

ムクドリたちが群れを崩さず飛んでいる様子を見ていると、こんな考えが浮かんでくるーーあの群れは、実際には全体で1つの存在であり、通常の生物学の常識を超えた何らかの法則によって支配されているのではないだろうか、と。

WIRED VISIONより

私の考えはこうだ。人間は60兆個もの細胞から出来ていると言われているが、その細胞ひとつひとつが集まって手や足や頭、心臓や胃などの各内臓器官も出来ている。そしてそれらが人間の体を構成している。科学的には心も出来ているということになる...はず。人間を例にとって考えてみるとそれらはひとつひとつ別の器官や細胞として分けることが出来るのだが、少し飛躍して考えると、もし人間を超越した神的な存在が在るとしたら、人間も含め、地球上の動植物全て、何なら動植物だけでなく地球に有るもの全てをまとめてひとつの生命体として見ることも出来るのではないか?というもの。

それはちょうど、二次元の世界からは三次元の世界が認識できないが、三次元の世界からは二次元の世界が認識が出来ると云うことに似ているように思う。

そんなことを考えていたら、松岡正剛さんの『17歳のための世界と日本の見方』という本の中にヘルメス思想についての記述を見つけた。見つけたあとスグに調べてみたのだがあまりしっくりくる記事が見当たらなかったのでこちらも引用してみる。

ヘルメス思想では宇宙の基本原則は一つであって、どんな小さな物質であろうと生命であろうと、宇宙の全体の特質を反映していると考えられています。

松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』より

まさにここにも考えていたようなことが書いてあるのだ。人類の誕生、生命の誕生、それ以前にこの宇宙の誕生。誰もが一度ならずとも考えたことがある疑問である。そしてその宇宙誕生の科学的な事象として “ビッグバン” が在る。その極めて科学的な答えを想起させる記述が、なんとギリシア神話の中に登場する。

Wikipediaのカオスの項にはこう記されている。

ヘーシオドスの『神統記』に従うと、世界の始まりにあって存在した。原初の神であるが、最初に混沌(カオス)が存在したという意味ではない。世界(宇宙)が始まるとき、事物が存在を確保できる場所(コーラー)が必要であり、何もない「場」すなわち空隙として最初にカオスが存在し、そのなかにあって、例えば大地(ガイア)などが存在を現した。また、ヘーシオドスはカオスのことをカズム(裂け目)とも呼んでいる。
『神統記』によれば、カオスの生成に続いてガイア(大地)が生まれ、次に暗冥の地下の奥底であるタルタロスが生まれた。また、いとも美しきエロース(原愛)が生まれた。しかし、これらの原初の神々はカオスの子とはされていない。

Wikipediaより

科学や宗教、思想や哲学など、ジャンルは違えど導き出したい答えは同じなのかもしれない。

最後にWIRED VISIONにも掲載されていた動画を貼付けておこう。ムクドリの群れも地球という生命体の一部であり、そして我々もその一部である。“自然を破壊することは自殺行為と同じである” という若干過激に思われる思想も、あながち間違ったことではないように思える。

追記 2011年は初心に還り、映画や旅のことばかりでなく、こんな感じで自分の思っていることをもう少しコラムにしていきたいと思っています。それ以外の抱負的なものはここでは差し控えさせていただきますが、本年も変らぬお引き立てのほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

Author: Shin Takeda
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