会社を辞める理由についての考察と決意

June 6, 2016

自分の考えを特定多数の人に伝える必要があるとき多くの場合に於いて話せば話すほど伝え方が上手になっていく。それは自分の気持ちが整理されていくということに加え他者の意見を聞く中で自分にとって腑に落ちる意見を取り入れることができるからでもある。

しかし人に伝えることさえ上手く行かないとき自分の場合その気持ちを文字に起こすことから始める。よってこの文章は結論を持たないまま書き始める文章である。閲覧の時間が無駄になる可能性が大きいが故忙しい現代社会を生きる諸君には読むことをお勧めしない。読んだとしても得られるものは何もない可能性が高いことを重ねてご了承いただければ幸いである。

さて…。

10年以上勤めた会社を辞めようとしている。今の状態としては辞めることを決めてはいてあとは上司に報告をするだけ。同僚と身近な人間に伝えてはいるがオフィシャルにはなっていない状態である。

この決意をするにあたって話は1年前に遡る。長年一緒に働いてきた同僚が突然辞めた。突然といえば突然だったがお互いこの会社で生涯を遂げるつもりがないことは暗黙の了解であった。先を越された…というのが率直な感想ではあるが少なくとも自分は勤続10年達成前であったこともあり時を同じくして辞めるということは考えなかった。ただ社員の数が減りフットワークが軽くなった分いままでに出来なかった事をやろうと思った。

弊社は親会社の社長がそのまま弊社の社長を兼任している体制だが社長は特に方針を打ち出すことも口出しすることもなかっただけに自由にやらせてもらえる環境だった。もちろん売上が悪いときは年俸を減らされもした。だがそれは当たり前のことであってそれに対して特に文句はなかった。それも含めて待遇的には会社に対して一切文句はなかった。唯一文句があるといえば理不尽な仕事の進め方くらいだがそれはどこへ行っても同じだろう。そんな訳で自分としては10年間も恵まれた環境で仕事ができたことに感謝している。

では何故その会社を辞めるのか?

どんな言い方もできる。聞こえの良い言い方であれば「この環境に甘えていてはいけないと思った」と答えるだろう。どうでも良い人に対しては「飽きた」と答えるかもしれない。「新しい環境でチャレンジしてみたい」と答えても良い。だが何をチャレンジするのか?

いままでに出来なかった事をやろうと思った。1年前に考えたその部分についてもう少し触れなければならない。それなりに名のある会社を親会社に持つと営業をしなくてもそれなりに仕事はやってくる。なので社内に営業はいない。だが与えられた仕事だけをこなしていてはおもしろくないし成長もしない。そんなことも考えていままでにやってこなかったような仕事を自ら提案して増やしていこうと思った。結果的にいくつか自分のやりたい仕事が出来た。お酒関連の仕事などはこれまでとは別の人脈で獲得した“いままでに出来なかった仕事”だと思う。楽しい仕事をたくさん担当させていただいた1年だった。だがそれだけだった。

与えられた仕事を自分なりに精一杯こなし自分のやりたい仕事を楽しみながら取り組んでも会社の体制や仕事の規模を変えることは出来なかった。特に変えたかったという訳ではないが自分には変える力がないということがわかった。その事実は何を意味するのか?たった1年だけではあるがされど1年。それは今の会社に対して自分の影響力が及ばないということを意味している。

これまでに担当してきた仕事はどうなのか?自分が担当しなければ成し得なかった仕事はいくつあるのか?個人的には全ての案件が自分でなければ成し得なかった仕事だと自負している。ただそれが正解なのか?と問われれば自分でなくとも違った形で何かを成し得ていたと思う。わかりやすく乱暴に言うとクライアントの満足度が100%以上であれば誰が担当しても良い訳である。そんなタラレバの話をしても仕方がないことはわかっている。では何が必要なのか?

自分にとって必要なこと。それはいま自分が求められているのか?求められていないのか?を知ることのような気がしている。今の会社に転職して10年強。ウェブ業界も含めると広告業界に入って15年近く。そろそろこの業界で自分が必要とされているのか?されていないのか?その判断をするときなのではないのか?そう感じている。判断をすると書いたが正確には判断を仰ぐという言葉が正しい。

話は少し変わるが今の会社だけではなくこれまで働いてきたほぼ全ての会社で人が辞める時はいつも突然だった。当たり前と言えば当たり前だがそれなりに立つ鳥跡を濁さずな礼儀はわきまえた上で次に着地する場所を決めて。今の会社でもそんな光景を多く見てきた身として少なくとも自分は辞めることを決断する前に同僚にその意思があることだけは伝えようと考えていた。そして昨年末に伝えていた。「このまま何も変わらなければ自分は身を退く」と。

そして今。

次に何をするかは何も決めていない。よく「独立するの?」と聞かれるが独立願望は全くと言っていいほどない。しばらくは就職活動をする予定もない。かと言って遊んで暮らせるほどの財力もない。どんな形であれどんな仕事であれ依頼が来るのを待ってみようと思っている。それが必要とされているか?されていないか?を判断する唯一の方法のような気がしている。単発の仕事なのか雇用の打診なのかはどちらでも構わない。必要とされている場所で自分に出来ることを精一杯やって力になれれば良い思う。

43年近くも生きてきたのにもし必要とされない人間だということになったら相当なショックだろう。だがそのときは甘んじてその状況を受け入れたい。“ゼロか全てか”この言葉は自分の一番好きな言葉だがそのときは“ゼロが全て”と感じて一からやり直すことにしたい。

Author: Shin Takeda
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